趣味と依存 

バイクを趣味としている人を観察して思った事ですが、
さほど有為とは思えない人の個性を、バイクは補正してくれるのかと思いました。

 

友人のDは古いカワサキのバイクに乗っています。
自分のイメージを大事にして、それを具現化しています。
「ここの色はこうでなければ!」「ここの造形はこうでないと!」と、非常にやかましいです。
本人はこだわりと言っています。
こだわりにも長短あると思いますが、短所としては観念的で頑迷な心になりがちです。
こだわりというよりは自己愛の投影だろうなと微笑してますが、
私はズボラな人間なのでこだわれませんので、そのこだわりは珍重に思っています。

 

知人はデザインを職業にしていますが、その知人は良いデザインが思い浮かばなくなると
思念がバラバラになり、頭が混乱するそうです。そうなると仕事が進まないので、
気分転換にバイクに乗って走ります。
短い時間だそうですが、バイクを運転すると頭がスッキリしてリセットされるとの事です。

 

友人Uは想念に苛まされる情緒型の人間に思えます。
以前、そのUにバイクに長く乗っている理由を問うたところ、
「バイクに乗っていると、余計なコトが思い浮かばないから好きだ」
と言ってました。バイクは基本的に危険な乗り物ですから、運転する事で集中力を呼び戻し、
想念から距離をおけるのでしょうか。
Uは長くバイクに乗っていますが、メカニズムには興味がありません。
車種にもこだわりはそれほどありません。失礼ですが、趣味として成熟している箇所は少なく見えます。

 

前述の人達は、有為でない思念や想念が消え去ればバイクは不要なのかもしれません。
一部の人間にとって、バイクは簡単にリアルを呼び起こせる偉大な装置なのだろうかと思いました。
薬と同じ存在なのかもしれません。あるいは副作用の無い麻薬なのでしょう。
と偉そうに書いていますが、私も似たようなモンです。