都市から離れた不便な場所にある、小さな集落を眺めて思うのは、なぜここに人が住み続けているのだろうか?という疑問です。最近やっと理解したのですが、電気、水道、ガスなどのインフラがなかった昔は、生きる為には燃料の薪木、農耕に適した土地、飲料に適する小川が必要でした。
それらが豊富にある土地は人が住むには適していますから、今も集落として存在しているのでしょう。
そういう観点で集落を眺めると、歴史が古そうで今も人が住む集落の多くは、背後に薪木を拾える山林を持ち、飲料や農耕に必要な小さな小川が流れ、ある程度の広い田畑を持っています。
こういった集落であれば、生活に困らず暮らしていけただろうと推測します。
反対に苦労したのは山地の集落に住む人々だったそうです。高地は気温が低く平地も少ないので農耕に適せず、暮らしを立てるのにたいへん苦労したそうです。
ツーリング中に偲ぶ、先人の苦労
ツーリング中に高地の舗装林道を走るとたまに廃屋を見かけますが、どうやって、この寒く狭い土地で衣食したのだろうかと、この地で生活していた先人の苦労を偲びます。
ツーリング中に小さな集落で立ち止まる事があります。そういった集落に共通している共通点は、大事にしている神社仏閣、大きな樹木、道端に植えてある草花、綺麗な水田、清潔な道路などです。
良い集落に住む人は、生まれ育った自分の集落を綺麗に管理しています。
その美しさは、よそ者でせっかちな私を立ち止まらせるくらい魅力があります。
美しい集落は末永く続いて欲しいと思います。
私は都市で生まれ育った人間ですが、こういった集落に親しみを感じるは民族の遺伝子なのかもしれません。